KIYOMI SOKOLOVA-YAMASHITA

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ソコロワ山下聖美 文芸研究室

LATEST ENTRIES

ドライバーさんたち

さて、今回の旅、重要なのはドライバーさんたちです。 すべてはこの方たちにかかっているといってもいいくらい。 芙美子はパレンバンからスマトラへの道中、ドライバーを 二人つけてましたが、長距離であるため、絶対にそうした ほうがいいのでしょう。 …

「望郷」に描かれるブキティンギの動物園 

「望郷」には、ブキティンギの動物園が描かれます。 作品に書かれているように、今でも動物園は高台にあり、見 晴しがよく、オウムやオラウータンがいます。 ドライバーのヨノさんはとてもこわがりで、 オウムや猿にもびくびくし、おまけに高所恐怖症で…

林芙美子「荒野の虹」「望郷」とブキティンギ

ブキティンギという町、あまり知られていませんが、 涼しくて、本当に良いところです。 昨年来たときに、おとぎの国のようだな、 と思いましたが、なんと林芙美子も「望郷」という 作品の中で、同じことを書いていました。 ちなみに「望郷」という作品は…

ブキティンギまで

林芙美子はまずはパダンに到着し、 それからブキティンギに行きますが、 私たちはブキティィンギ→パダンというルートを とりました。 ここのあたりまでくると、昨日までの砂っぽい乾いた道とは 異なり、なんだか瑞々しくなり、明るい感じがしてくるよう…

本日は316㎞

林芙美子はパレンバンから、ジャンビ―、パダン、 ブキティンギ、そして、メダン、ブラスタギ、アチェ をまわってスマトラ三千キロの旅をしたようですが、 「スマトラ 西風の島」は、パダンに到着する手前で 「未完」となってしまっています。 パレンバ…

TELUK KUALI 村

本日一番苦労したのは、「トロコワリ」村探しです。 芙美子の車のタイヤがパンクし、村人にパンク直しを 手伝ってもらい、村長の家で休ませてもらった、と記述される この村、「トロコワリ」と発音しても誰もわかりません。 もめにもめて、やっとTELU…

ジャンビ―からムアラテボまで

ジャンビ―を出発した芙美子は、まずは「バジュバン」 BAJUBANGを通り、 「モアラタンバレー」MUARA TEMBESIに到着し、 バタンハリーの大河を眺めます。 ちなみに林芙美子の車も六十キロで走行していたようです。 私たちもだい…

「スマトラ 西風の島」 本日は379㎞

「スマトラ 西風の島」は、「改造」昭和十八年六月号に前篇が、 七月号に続扁が掲載され、未完に終わっています。 本日は続扁を走行しましたがとにかく道が悪かった・・・ そしていろいろ怖かった、という言葉に尽きます! 陥没、砂利、そしてと…

ジャンビーに到着

ジャンビーに到着しました。 林芙美子は次のように述べています。 「ジャンビイに着いたのは七時一寸過ぎで、町へはいるなり、 私はその牧歌的な町の姿に吻っとするものを感じた。 スマトラのジャンビイと云う町は生涯忘れがたい。 ジャングルだの、…

パレンバンからトンピイノへ

パレンバンを出発した芙美子は一日でジャンビーまで移動します。 その過程で通った地域の今はこんな感じです。 (「」内は芙美子の表記) 「パンカラバリー」PANGKALAN BALAI 「スゲーリンの渡し」SUNGAI LILIN 「パニン…

「スマトラ 西風の島」前篇285キロ

「スマトラ 西風の島」の前篇を走ります! パレンバンから出発した芙美子は、 村々をめぐり、川を渡りながら進みますが、 そこにいちいちカタカナで地名を記しています。 この地名解読が意外にも困難な作業でして・・・ 近々にもう少し詳しい調査報告を…

「スマトラ 西風の島」

そもそもなぜ私はスマトラを車で横断するかといえば、 林芙美子の作品「スマトラ 西風の島」 を巡るためであるのです。 この作品はパレンバンから途中の村々をまわって ジャンビーへ、そして村々をまわってパダンへ向かう スマトラ紀行なのですが、未完…

林芙美子とパレンバン

林芙美子は南方従軍の際に、スマトラの各地を訪れました。 昭和十八年の三月三日にスラバヤから飛行機でパレンバンに来て、 瑞穂学園で講演などしています。 ここらへんの調査は昨年のブログにも紹介してあります。 それにしても一年ぶりのパレンバンは …

ジャカルタに着きました

本日から9月8日まで、 インドネシアで再び調査の日々を送ります。 日本からジャカルタは約7時間。 到着後、明日からの同行してくれるリンダさんと打ち合わせ。 その後、スーシー先生とブディマン和子先生、 そして今日は旦那様のブディマン氏も一緒に…

堂ヶ島&修善寺

大学の研修旅行、今年は堂ヶ島にて行われました。 海がきれいでした。 解散後、修善寺を散策。 …

昭和館

ここ数日、九段下にある昭和館に通っています。 戦争時期の資料が豊富なここの図書室と映像室で 林芙美子の作品を調査していますが、 次から次に、出てくる、出てくる、新たな作品が・・・ という状態で、いったい芙美子作品の全貌をつかめるの はいつ…

林芙美子と台湾⑦ 大稻?に行こうとして・・・

芙美子のエッセイに登場する大稻?は、 昔の地図だと台北駅周辺にあります。 ここに行きたくて、タクシーに乗りました。 現在だと「迪化街」というところです。 しかし、タクシーの運転手さんはとても親切だったのですが 「進化街」と間違えて、別の街…

林芙美子と台湾⑥ 台北駅周辺

現在の台北駅。 こちらは昭和10年ころの台北駅周辺地図↓ 「鉄道ホテル」と「吾妻」の文字が駅前にあります。 林芙美子が書いているように、確かに、 鉄道ホテルの前に吾妻旅館があったのです。 台北滞在時、芙美子一行はこの吾妻旅館に宿泊し、 …

林芙美子と台湾⑤ 萬華と龍山寺

基降から再び台鉄に乗り、 台北へUターンし、さらに台北から一駅先の 萬華へ。 萬華は古い街で、林芙美子はこの周辺を歩き、 庶民の生活を見て、エッセイに記しています。 ちなみに、昭和十年のここのあたりの地図で 川沿いには「萬華遊郭」の文字…

林芙美子と台湾④ 基降

本日は台鉄の台北駅からスタート。 林芙美子が訪れた台北近郊の町と台北市内に 行ってみることにしました。 各駅電車で一時間ほど、 港町の基降に到着。 当時の芙美子たち一行は、 日本から船で4日ほど揺られ、 基降の港に到着したようです。 …

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