2012年05月18日
5月18日(金)林芙美子『憂愁日記』にみる「死」の日
『憂愁日記』読了。

これも全集には入っていませんが、とても面白い作品。
パリ滞在から、船での帰国、そして東京での生活から父の死まで
芙美子独特の〈生活力〉に満ちた文体で描かれています。

気になるのが、6月28日の記述。↓

6月28日と言えば、19年後の6月28日、
芙美子はぽっくりと死んでしまいます。
昭和7年のこの日、つまり、後の命日にあたる6月28日に、
「死」についての記述があると、
なんだか予言性があり、
不思議な感じがするのですが。
ちなみに宮沢賢治もまた
昭和6年9月21日に「死」を予感したのか、
両親にあてて遺書を書いています。
二年後の9月21日、賢治は本当に亡くなってしまいました。
文学者というのは、「書く」ことで
自らの未来と結びついていく人間なのでしょうか・・・
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2012年05月15日
5月15日(火) 林芙美子とペン部隊
今年の研究実習は、盛りだくさんな企画ばかり。
林芙美子関連、日野日出志展示、金のたまご文学賞運営、
そして「Literary Arts」作成など、週一の授業では
足りないくらいです。
先週は国会図書館にてリサーチ実習、
本日は大学にて林芙美子の従軍関連資料調査を行いました。
まずは朝日新聞記事データベース「聞蔵」
にて記事を調査。

昭和13年に林芙美子を含む22人の文壇人が
中国に従軍しました。
いわゆるペン部隊です。
日本大学芸術学部図書館には、
このときに内閣情報局が作成したとみられる
「文壇人従軍関係受領証」が保存されています。

こちらの資料は歴史的にも大変貴重なもので、
ペン部隊の作家たち全員の直筆署名入りです。
皆で見る、の図。↓

来週は昨年作成した「ウォーキングマップ」
片手に林芙美子記念館まで歩きます。
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2012年05月04日
5月4日(金) 林芙美子と満州 その4 「戦争があんまり好きぢゃない」
林芙美子の『哈爾賓散歩』には
次のようにも書かれています。
「日露戦争の跡も見て来たかったのですが、
小心者の私は、戦争があんまり好きぢゃないので、
旅順の二百三高地へはわざと行かないで止めてしまひました。」
日本人にとっては栄光(?)の日露戦争。
現在も旅順は、日本人観光客に人気の場所ですが
芙美子は行かなかったようです。
私は行ってきました!
昔の旅順駅と・・・

現在の旅順駅。↓

旅順には確かに戦跡が多く見られ、

ロシアの大砲が保存されていたりします。

こちらは日露戦争の激戦区、二百三高地。
おみやげ屋さんには、
日本人観光客向けに
いろいろな戦争グッズや満鉄グッズが
ずらりと並びます。
敗戦後、日本人が置き残したものも高値で売られており、
満鉄バッジや「憲兵」と書かれた腕章など、
マニアにはたまらないものばかり。
私が購入したのはこれ↓

昭和14年の「東京朝日新聞」。
林芙美子の連載小説「波濤」が掲載されていました。
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