CATEGORY林芙美子の南方従軍現地調査2011
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日本に戻りました
本日から大学業務再開。 研究室にて、清水先生、日野先生、 そしてバンジャルくん。 バンジャルマシン・ポストにて もらったぬいぐるみです。 バンジャルくんは学生に大人気。 ぬいぐるみ好きでない私もなぜか バンジャルくんだけはものすごくかわ…
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林芙美子セミナーに関するじゃかるた新聞の記事
昨日の「じゃかるた新聞」に10月3日の林芙美子セミナーの 記事を掲載していただいた。 じゃかるた新聞には、最初から最後まで本当にお世話になった。 深謝。 …
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マレーシア、マラッカへ
マレーシア滞在中に行けなかったマラッカへ シンガポールから入ってみる。 林芙美子もまたシンガポールから 車でジョホール・バルを通過し、バトゥパハ、 マラッカへと行っている。 私もそのコースを体験してみた。 車で三時間ほど、とばしにとばし、 …
再び、シンガポール
昨日の夜中に、インドネシアから シンガポールへ入る。 研究調査旅行の出発地点、 シンガポールに戻ってきた。 7月にここから調査をスタートさせて、 はや、2、5か月。 なつかしい。 しばらく滞在してから東京に戻ります。 …
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ジョグジャカルタにおける林芙美子の滞在先は現在のイナ・ガルーダ・ホテル
林芙美子は、スマトラに行く直前の 1943年2月28日から3月1日まで、 ジョグジャカルタに滞在したようだ。 残念ながら詳細な記録が残っていなく、 唯一、陸軍が発行した芙美子の 「旅行券」に日程と 「ジョグジャカルタ兵站指定旅館旭ホテル」 …
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ボロブドゥールとプランバナン
早朝、ジャカルタを出発し、 インドネシアの古都ジョグジャカルタへ。 寺院めぐり。 ボロブドゥール遺跡を見たり・・・ プランバナンの寺院を見たり・・・ …
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ジャカルタ最終日
いよいよジャカルタ最終日。 ジャカルタにはこんなに滞在する予定はなかったが、 インドネシアの魅力に魅せられて、マレーシアを削って 急きょジャカルタ滞在を増やした。 ジャカルタと言えば、 「じゃかるた新聞」副編集長の蓜島さん。 リンダさんの提…
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セミナー「放浪の日本近代女流作家 林芙美子」(インドネシア大学)
インドネシア大学大学院日本地域研究科における合同セミナー 「放浪の日本近代女流作家 林芙美子」に参加。 この日のために、日本から院生の藤野くんが 来て「放浪記」について発表。 インドネシア大学からは、院生のフィトリアナさんが 「浮雲」につい…
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ジャカルタのタマン・ミニでインドネシア三昧
ジャカルタのタマン・ミニは、 多様なインドネシア各地の文化をとても広い敷地内にて いっきに紹介しているテーマパーク。 インドネシア滞在中にどうしても行けなかったところを 疑似体験しました。 ジャンビーの伝統家屋。 中華系が多い。 林芙美子…
クアラルンプールからジャカルタへ
クアラルンプールからジャカルタへ移動。 リンダさん、そして 東京からやってきた大学院生・藤野くん と空港で合流。 久しぶりに話しているときに 急に、巻き舌ができるようになった! 地道に地道にインドネシア語を勉強していたのですが インドネシア…
インドネシア大学大学院日本地域研究科における合同セミナー「放浪の日本近代女流作家 林芙美子」のお知らせ
昨日、ペナンからクアラルンプールに戻ってきた。 明日からは再びジャカルタ。 そろそろ長期に渡った林芙美子南方派遣時の 調査も終盤に近づきつつある。 まとめの時期が来たのです。 まずは、今回の調査を インドネシア大学のセミナーで報告することに…
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ペナンで林芙美子が滞在したのはイースタン&オリエンタルホテル
では、林芙美子がペナンで滞在したホテルはどこなのか? 「南方従軍ノート」には、 滞在したホテルについて次のような記述がある。 「ペナンホテルに泊る ホテルのうしろ海なり。 (略)サロンの天井は園いドームなり。部屋より 海の音きこゆ」 もちろ…
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蛇寺とペナンヒルのケーブルカー
林芙美子が1942年11月28日に、 ペナンで訪れた場所、 その1、蛇寺。 昔のほうがたくさん蛇がいた。 現在もけっこういる。 その2、ペナンヒルのケーブルカー。 現在のケーブルカーはつい数カ月前に リニューアルしたばかりの最新版。 昔は…
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世界遺産、ペナンのジョージタウン
クアラルンプールから、一泊の予定でペナンへ。 林芙美子は1942年11月27日にペナンに 到着、29日まで滞在している。 ペナンはイギリスがマレーシアに最初に入植した 町で、現在でもイギリス統治時代の建物が 多く残されている。 一方で、中国…
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セレンバン調査
「南方従軍ノート」によると、 林芙美子は1942年11月24日の午後2時に セレンバンに到着し、 「フジヤ」にて食事をしたり、 日本人と会ったり、日蓮宗の寺「光徳院」 を訪れ、軍人の墓を見たりしている。 現在のセレンバンの町並み。 まずは…
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マレー鉄道でセレンバンへ
マレー鉄道でセレンバンへ。 ダイヤは乱れがち。 待てども電車はやってこない。 やっと来た電車は満員。 東京の通勤となんらかわりはない。 女性専用車両もある。 しかし車窓からの風景は、 南国。 一時間半ほど乗り、 セレンバンに到着。 …
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林芙美子とマレーシア
林芙美子は1942年11月23日、 シンガポールからマレーシアに入っている。 ジョホールを経由し、バトパハ、マラッカ、セレンバン、 クアラルンプール、イポー、ペナン、アロースターなどを訪れた。 滞在期間はたったの一週間であるのに、 ほぼマレ…
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マレーシア、クアラルンプールへ
ブキティンギを朝四時に出発し、車を走らせ、 パダンの空港へ。 パダンから、エア・アジアにて マレーシアのクアラルンプールまで一っ飛び。 インドネシアとはいったんお別れ。 また戻ってきますが。 クアラルンプールの都会っぷりに しばし呆然。 …
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ミナンカバウの伝統舞踊
ブキティンギでどうしてもみたかったのは ミナンカバウの伝統舞踊。 劇場があるので行くと、 「10人集まらないとやならい」 とのこと。 私、ドニさん、ダスさんの三人しかいない。 待てどもお客さんはやって来ない。 ホテルにオランダ人観光客がけっ…
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ラフレシアの花
ラフレシアはもうどうでもよくなり、 ほぼ半泣きで、ジャングル脱出。 地元ガイドさんは結局ラフレシアを見つけ、 「もう一度行こう、さらに上の方」とのことだが もう、絶対無理。 ダスさんにデジカメを託し、 写真をとってきてもらった。 途中、…