KIYOMI SOKOLOVA-YAMASHITA

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ソコロワ山下聖美 文芸研究室

アチェと林芙美子

そもそもなぜ今私はアチェにいるかというと、
林芙美子のスマトラ縦断の最終地がアチェであったからです。
しかし、南方従軍時の手帳の
昭和18年4月18日の欄に
「アチェ」という記述があるだけで
あとは謎のまま。
中国人作家・郁達夫とアチェで何らかの
再会があったのではないかという説もありますが
とにかく謎。
こんな謎だらけにもかかわらず、今回も様々な方に調査協力をして
頂き、本当に感謝の限りです。

アチェ博物館資料館ではいつものように
リンダさんにインドネシア語をがっつり翻訳してもらいました。
hakubutukan

ちなみにアチェと言えば、津波被害の地。
立派な津波博物館もあります。
tunamihaku

南国系フルーツは今回もたくさん食べましたが、これはカシューナッツの実
です。木になっています。
kashunattu

甘いコーヒーは毎日。
kohi

アチェは厳格なイスラム色が濃い地域なので
いろいろと身構えてシルバの用意などしていましたが、
着用していると「なぜ日本人なのにしてるの?」と大笑いされました。
日本で情報を収集するのと、現地に実際に行くのはこんなにも違うものなのですね。

2011年、実際に現地に行くことからはじまった
林芙美子の南方従軍調査ですが、とりあえず
アチェを最終地点としていったん区切りをつけたいと思っています。
成果は「林芙美子とインドネシア」として一冊にまとめる予定です。
しかし、いろいろわかってきたこともあり、とくにスマトラは
まだまだ、まだまだ。。。
アチェは最終地点ではありますが、新たなる研究のスタート地点ともなりそうです。

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