Соколова Kiyomi Yamashita

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山下聖美 文芸研究室

林芙美子は、トラワス村村長宅から、
しばしばタミヤチン区(当時)へと出かけている。
タミヤチンでの芙美子の足跡は以下の通り。
1、タミヤチン小学校で先生方に日本語を教える。
(教室で生徒たちと写る写真がジャワ新聞に掲載されている)
2、タミヤチンにおける米祭りを堪能
3、タミヤチン区長「サートラン」氏と交流
現在のタミヤチンはこんなところ。
tamiyachin.jpg
昔のことなので、お年寄りに聞いてみよう!
ということで歩いている方に声をかける。
中央お二人、ショリキンさん(81)とアンワ・アリフさん(73)。
tamihito.jpg
なんと、お二人のお父様は元・タミヤチンの村長(昔の区長)で、
芙美子の時代の区長であった「サートラン」氏の秘書であった。
ちなみに、芙美子は「サートラン」と書いているが、
実際は「サデラン」と読む。
このような読みのずれがたくさんあって、これもややこしい・・・
さらにお二人とも、芙美子が訪れたことのある
タミヤチン小学校の出身。
ジャワ新聞の写真を見せたら、
「なつかしい、この机の端にはインク壺がついてるんだよ」
と教えてくださった。
現在もタミヤチン小学校はあるが、
当時の小学校とは場所が違う。
当時の方に案内して頂いた。
tamiyachinshou.jpg
現在ここは、子供の養育施設となっている。
タミヤチンでの米祭りのことも尋ねると、
「今はなくなってしまったが、
昔はそれは盛大に行っていました。
収穫祭りです。」
と、細かに祭りの模様を説明してくださった。
そして祭りの場所であった場所へ。
komematuri1.jpg
気持ちの良い風が吹き、眺めも良い。
ここでの祭りを、芙美子が感動して
作品「南の田園」に残した感覚がよくわかる。
アンワ・アリフさんもとても懐かしそうに
祭りの光景を語ってくださった。
komematuri2.jpg
アンワ・アリフさんは芙美子のことは知らなかったけれど、
米祭りの「共鳴」を感じ、なんだか胸が熱くなりました。。。

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