13Sep
アミヌディンさん(81)に聞き取り調査。
日本占領時に日本語学校に通っていたという
ことで、聞き取りをさせていただいたのだが、
瑞穂学園ではなく、パレンバン郊外のプラジューという
町の日本語学校であることが判明。残念。
しかし、日本語学校卒業後、日本軍の通訳として
働いていたアミヌディンさんからは、当時の貴重な
お話をうかがうことができた。
ちなみに、今回の聞き取り調査では、いつもいつも
多くのお菓子をふるまわれる。
レバラン(断食明けのお祭り?)後なので、そのおこぼれを
いただけるのです。
トラワスでの聞き取り中はラマダン中だったので
インドネシアはなんて禁欲的なところなんだ、
と思っていたが、今回は全然違う。
さて、今回の調査で私は次々にいろいろな方に
出会うことができているのだが、すべては現地での「紹介」による。
日本では、いっさい準備をしていない。
出国前は国内での仕事に忙殺され、
準備どころではなかった。
例えば、昨日のモッタさんはスリヴィジャヤ・ポストのアレフさんの
紹介。そしてアミヌディンさんを紹介してくれたのは
弁護士のサップリさん。
ちなみにサップリさんは、スリヴィジャヤ・ポストの記事をみて、
フェイスブック仲間の記者さんに連絡してくれた。
左、サップリさん。(スマトラ系)
右、ドライバーのヨノさん。(ジャワ系)
パレンバン料理(魚が名物)を食べながら。
さらにサップリさんの案内で、旧日本軍が使用していた
バンカ(地下壕)へ。
アミヌディンさんは上官の「樋口大尉」とともに
いつもバンカにいたという。