KIYOMI SOKOLOVA-YAMASHITA

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ソコロワ山下聖美 文芸研究室

モッタさんの証言による、パレンバンの瑞穂学園

林芙美子は1943年3月3日に
ジャカルタから飛行機でパレンバンに到着。
3月4日に日本語学校・瑞穂学園にて講演を行っている。
このときのことを、日記メモや「スマトラ 西風の島」
い記している。
また、瑞穂学園の生徒たちが書いた芙美子の講演録と感想が
残っている。
この瑞穂学園について、
パレンバン在住の歴史に詳しいモッタさんに聞き取り調査。
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モッタさんは、パレンバンのパラディスホテルのオーナーで、
作家でもある。著書は50冊以上。
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モッタさんは、1928年4月3日生まれ。
日本軍にひどい目に合わされたので、
日本に対してのイメージはあまり良くないという。
しかしながら、私が日本語で「瑞穂学園」のことを
説明していると、「ミズホガクエン」の単語にだけ反応されて
知ってる、知ってる、とのこと。
瑞穂学園についてのモッタさんの証言は以下の通り。
・生徒は13歳以上の男子だけ
・6カ月の修業期間
・授業は日本語と体育だけ
・公務員になりたい人が行った
・日本軍が占領した1942年2月から約1年後に創設され、
約3年間存続した(その後は義勇軍の学校になった)
芙美子の記述とほぼ一致する。
なんと、モッタさんの従兄弟(すでに亡くなっている)
が瑞穂学園の生徒だったという。
(しかしモッタさんは日本語学校などに通った従兄弟について
あまりよく思っていないようだった・・・)
ちなみに、その従兄弟の息子は現在の州知事。
さらに面白いことに、当時17歳だった従兄弟の名前は、芙美子がもらった
作文に書かれている名前のうちのひとつと一致している。
(しかしよくある名前らしい)
今後、綿密に調査の必要あり。

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