KIYOMI SOKOLOVA-YAMASHITA

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ソコロワ山下聖美 文芸研究室

南方派遣時の林芙美子の手帳には、
3月21日に「メダン」の記述があり、
その後は空白、27日に「ブラスタギ」
28日に「スイスホテル」、
29日に再び「メダン」の文字があらわれ
空白が続き、4月17日に「アチェ」とある。
そしてさらに空白が続き、4月26日に「メダン出発」
とある。
これらの場所の記載と空白をどう解釈すればよいのか。
空白部分は宣言通り、スマトラ縦断における車での移動日であるのか。
(または当時走っていたという汽車?)
それとも芙美子は軍用機などの空の便で移動したのか。
ならば空白の日は何をしていたのか。
この時期の林芙美子については、
当時メダンに滞在していた佐多稲子により
言及が残されている。
佐多と芙美子は毎日新聞社に同宿し、
芙美子はお汁粉などをつくってふるまっていたそうだ。
さて、私も芙美子の手帳の記載の場所
メダンからブラスタギ、そしてアチェへと足を延ばす
計画をたてていた。
今日が車で往復五時間のブラスタギ、明日から一泊アチェ。
あさってはパダンへ移動。
・・・ちょと、無理かも・・・。
二日ばかり、メダンでゆっくりフェイスブック三昧します。
それにしても林芙美子は、
疲れなかったのだろうか?!
食べ物は大丈夫だったのだろうか?!
当時の芙美子は私と同じ年。
かなり過酷であると思いますが。

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