5Aug
林芙美子はバンジャルマシンにて、
当時の日本人による現地新聞「ボルネオ新聞」
(朝日新聞が母胎)発行の手伝いをしたり、
作品を寄稿していた。
バンジャルマシンに本社をおく「ボルネオ新聞」
は当時どこにあったのか。
ちなみに、現在のバンジャルマシンの中心部には
「バンジャルマシン・ポスト」という地元の大きな新聞社がある。
ここにあったのではないか、という情報があったので、
さっそく「バンジャルマシン・ポスト」へ。
さすがに当時のことを知る人は皆無に近い。
「バンジャルマシン・ポスト」の創刊は1971年なので
この場所とは関係ないと思うと教えてくださったのは、
記者のウミさん。
ちなみにウミさんは女性についての記事や本を執筆中とのこと。
林芙美子が女であることに驚き、かつ私の東南アジア研究調査を
「アドベンチャー!」とびっくりしていた。
記者の方々におみやげをいただく。
社史(インドネシア語・・・)と
新聞社のマスコットのオラウータンぬいぐるみ。
ちなみに、当時、「ボルネオ新聞」勤務の方や、
芙美子もいたことがあるのではないかと思われる
「大和ホテル」はマルタプウラ川沿にあり、
今は公園となっているそうだ。