11Sep
日本占領時にパレンバンにあった日本語学校・瑞穂学園についての
手がかりを探るため、SS Japanese Langage Schoolへ。
ここは﨏敏さんが1970年代に建てた
パレンバンでは有名な日本語学校。
残念ながら﨏さんは5年前に86才で亡くなっているのだが、
何か手がかりがあるかもしれない。
お嬢さんのリサ・サコさんにお話をうかがった。
﨏敏さんが独自に作成した日本語教科書。
情熱が感じられる。
さらに﨏さんは、日本語を学ぶ生徒を自らを保証人として
日本に留学させたり、月に一度の日本語しゃべろう会を開催したりと
パレンバンにおける日本語教育に尽力された。
日本語学校を無料にしたこともあり、生徒が殺到して大変だった
こともあるという。
﨏さんは、パレンバンと日本をつなぐ架け橋であった。
残念ながら、﨏さんが亡くなってからは日本語学校は閉鎖されてしまい、
ここを中心として発信されていた日本文化の情報も途絶えてしまったという。
﨏さんが生きていたら、パレンバンの日本語教育の歴史など
様々なことがうかがえたのに・・・と残念でならない。
調査をしていると、
「それならばこういう人がいたけれど数年前に亡くなった」
ということが多い。
とくに戦争時代についての聞き取りは、あと数年すると
もう不可能になってしまうのですね・・・
﨏さんが毎日描いていたという絵が
今でも飾られています。