
昨日、本日と基本的にはホテルにこもる。 面白いホテルなんです。 私の書斎と化したロビー。 さて今日は、日本からもってきた仕事と ウミさんに渡す林芙美子の詩作品の英訳を片付ける。 ボルネオ新聞に掲載された 「雨」「南の雨」「マルタアプラア…
林芙美子は「赤道の下」の中で マルタプウラ川に流れる「ほてい草」 (イロン・イロン)に目をとめた。 「何時河岸へ行ってもふわふわと水の流れに身を まかしているほてい草をみかけない事はない。 人の運命を浮草のようだとたとえた歌もあったけれど、…
林芙美子は「赤道の下」というエッセイの中で、マルタプウラ川の沿岸や プラウ(小舟)、そして水上マーケットの風景をについて 次のように書いている。 「一日このプラウの出入りを見ていて飽きることがない。 日本のお伽話に一寸法師が赤い椀の船に乗っ…
バンジャルマシンでのガイド、モハメドさん。 ドライバーのイヨさん。 三人でいつも行動している。 バンジャルマシン・ポストのウミさんから 連絡があり、再び新聞社へ。 バンジャルマシン・ポストはこれ。 私が探しているボルネオ新聞はこれ。…
マルタプラの町へ。 市場でにぎわうマルタプラ。 近くにダイヤモンド採掘場があるので町は潤っているらしい。 たくさんのダイヤモンドおみやげ売り場。 作品「ボルネオ・ダイヤ」で重要なモチーフとなる ボルネオのダイヤは、これ。 磨いていな…
タキソンの浜に着いた。 「ボルネオ・ダイヤ」のヒロインは ここでゆで卵を食べた。 芙美子の描くヒロインたちは、とにかく「食べる」。 しかし今日の私は街のラマダン空気に順応し、 ほぼ断食中。お店も空いていないのです。 ちなみに芙美子は「タキ…
林芙美子の短篇「ボルネオ・ダイヤ」において 女性たちが弁当をもって、 タキソンの浜へドライブにでかける。 ドライブといっても、決して浮かれたものではない。 様々な事情を抱えて遠く日本を離れ、南の地で 働く女性たちが、仲間の死の翌日、車でタキ…
林芙美子はバンジャルマシンにて、 当時の日本人による現地新聞「ボルネオ新聞」 (朝日新聞が母胎)発行の手伝いをしたり、 作品を寄稿していた。 バンジャルマシンに本社をおく「ボルネオ新聞」 は当時どこにあったのか。 ちなみに、現在のバンジャル…
空港そばの戦没者慰霊碑で手を合わせる。 街を流れるマルタプラ川。 芙美子の日記には、 「バンジェルは蘭領ボルネオの第一の都会だといわれた けれど到って淋しい沼地の街なり。 街を抱くようにして黄いろおバリトの大河あり、 マルタプウラはバリ…
いったんジャカルタを離れ、ボルネオ島へのバンジャルマシンへ。 林芙美子は、昭和17年の12月から1月にかけて、20日間以上、 バンジャルマシンに滞在している。 バンジャルマシンを題材とした詩作品をいくつか残しており、 明日からのその地をめぐ…
林芙美子の研究プロジェクトについての記事が 掲載されました。 本日はこもって研究日。 資料整理にあけくれる。 明日からボルネオ島、バンジャルマシンへ出発! …
昼寝をしてすっきりした後、インドネシア国立図書館の分館へ。 先日訪れた本館はすべて閉架だが、分館は貸出も行っているという。 宿泊施設もある。 1920年代の建築物。 オランダ植民地時代の独特なミックスぶりがジャワ情緒を醸し出す。 右、学…
本日前半は、インドネシアの日芸こと、INSTITUT KESENIAN JAKARTAへ。 ニチゲーならぬ、IKJ(イカジェー)と呼ばれるここは、映像を中心とした芸術大学。 なんか、どこかで見たような光景・・・ 日芸生にしか見えない。 …
荷物検査とボディチェックのものものしさには慣れたれど (実は案外アバウト) これにはまだ慣れない。 大渋滞のなか、信号のない道路をわたる。 こわすぎ。 ホテルでは毎朝「じゃかるた新聞」をくれる。 今日のトップ記事は、もちろんこれ。 「じ…
今日から力強い相棒、リンダさんが同行してくれる。 インドネシア国立図書館へ。 リンダさん人脈で、修復部長のアナさんを訪問。 紙を修復する過程を特別にみせてくれた! デジタル化は、新聞からじょじょにすすめているそうだ。 閲覧室。 しば…
本日でいったんシンガポールとはお別れ。 ジャカルタに向かう。 朝の空港で朝日が昇りましたがもそんなに早い時間でもない。 お祈りの部屋もある空港。 ちなみにラマダンは8月1日から。 到着したジャカルタはイスラム教徒が多いので 今後ラマダン…
民族色の濃いシンガポールの街。 チャイナタウン、中国系の人々が集う仏教のお寺。 アラブストリート、回教徒の人々のモスク。明日からラマダンがはじまる。 リトルインディアン、ヒンドゥー教のお寺。 シンガポールの屋台、ホーカーズ。 さと…
林芙美子は昭和17年11月16日にシンガポールに到着し、 18日、日本軍の戦跡であるジョホール水道の敵前渡河地点、 激戦地ブキティマ、フォード会社両司令官会見の場所などを見学している。 当時の大日本帝国は、勝ち組。 69年後、敗戦国・日本で…
ホテルにこもり、準備もままならないままもってきた 資料の整理をする。 本は重い。電子媒体の大切さを痛感。 さすがに林芙美子全集をもってくるわけにはいかず、 すべてのページをデジカメで撮影した。 遅いランチを食べに外に出る。 人種のるつぼ。…
昨日たっぷり眠ったので、本日はとりあえずは数日滞在する街と言葉とシンガポールドル に慣れるために、歩く。 オーチャードロードからスタート。 バブルな街並み。 シンガポール経営大学。 ラッフルズホテル。皆よってたかって写真をとっている。…