CATEGORY林芙美子の研究
蛇寺とペナンヒルのケーブルカー
林芙美子が1942年11月28日に、 ペナンで訪れた場所、 その1、蛇寺。 昔のほうがたくさん蛇がいた。 現在もけっこういる。 その2、ペナンヒルのケーブルカー。 現在のケーブルカーはつい数カ月前に リニューアルしたばかりの最新版。 昔は…
世界遺産、ペナンのジョージタウン
クアラルンプールから、一泊の予定でペナンへ。 林芙美子は1942年11月27日にペナンに 到着、29日まで滞在している。 ペナンはイギリスがマレーシアに最初に入植した 町で、現在でもイギリス統治時代の建物が 多く残されている。 一方で、中国…
セレンバン調査
「南方従軍ノート」によると、 林芙美子は1942年11月24日の午後2時に セレンバンに到着し、 「フジヤ」にて食事をしたり、 日本人と会ったり、日蓮宗の寺「光徳院」 を訪れ、軍人の墓を見たりしている。 現在のセレンバンの町並み。 まずは…
マレー鉄道でセレンバンへ
マレー鉄道でセレンバンへ。 ダイヤは乱れがち。 待てども電車はやってこない。 やっと来た電車は満員。 東京の通勤となんらかわりはない。 女性専用車両もある。 しかし車窓からの風景は、 南国。 一時間半ほど乗り、 セレンバンに到着。 …
林芙美子とマレーシア
林芙美子は1942年11月23日、 シンガポールからマレーシアに入っている。 ジョホールを経由し、バトパハ、マラッカ、セレンバン、 クアラルンプール、イポー、ペナン、アロースターなどを訪れた。 滞在期間はたったの一週間であるのに、 ほぼマレ…
マレーシア、クアラルンプールへ
ブキティンギを朝四時に出発し、車を走らせ、 パダンの空港へ。 パダンから、エア・アジアにて マレーシアのクアラルンプールまで一っ飛び。 インドネシアとはいったんお別れ。 また戻ってきますが。 クアラルンプールの都会っぷりに しばし呆然。 …
ミナンカバウの伝統舞踊
ブキティンギでどうしてもみたかったのは ミナンカバウの伝統舞踊。 劇場があるので行くと、 「10人集まらないとやならい」 とのこと。 私、ドニさん、ダスさんの三人しかいない。 待てどもお客さんはやって来ない。 ホテルにオランダ人観光客がけっ…
ラフレシアの花
ラフレシアはもうどうでもよくなり、 ほぼ半泣きで、ジャングル脱出。 地元ガイドさんは結局ラフレシアを見つけ、 「もう一度行こう、さらに上の方」とのことだが もう、絶対無理。 ダスさんにデジカメを託し、 写真をとってきてもらった。 途中、…
ジャングル・・・
ブキティンギには日本占領時に 陸軍第25軍の参謀本部があった。 そして、今でも残る、日本軍がつくった トンネル。観光名所となっている。 全長1キロにも及ぶという。 入ろうとしたけれど、電気が壊れており、 係員の人が懐中電灯で案内すると言わ…
林芙美子が見たブキティンギの競馬場
林芙美子の手帳には、ブキティンギ滞在中の 3月18日に「競馬」という記述がある。 ブキティンギに1940年代に競馬場 はあったのか・・・ありました! 現在は、競馬場というよりも、 練習場として使用されている。 林芙美子はここから競馬を…
高原の町、ブキティンギ
高原の町、ブキティンギに到着。 林芙美子は1943年3月12日にブキティンギに 到着し、3月19日まで滞在したとみられている。 パダンは死ぬほど暑かったが、 ブキティンギは涼しくてとても過ごしやすい。 …
スマトラ スピリット!
海の町、パダンから、二時間ほど車を走らせる。 高原の町、ブキティンギへ向かう。 パダン、ブキティンギは、 西スマトラの主要な町。 人種は、ミナンカバウ人が多い。 ミナンカバウ人はマレーシア人との 縁が深く、 「ジャワよりのマレーシアの方…
イナ・ムアラ・ホテル(旧大和ホテル)とパダン国立大学
林芙美子は、1943年3月8日にパダンに到着し、 軍指定の大和ホテルに滞在している。 大和ホテルは、現在のイナ・ムアラ・ホテル。 地震で倒壊してしまい、 現在はリニューアル中。 このように、パダンの街にはまだ、地震によって 倒壊した建物も…
メダンからパダンへ移動
メダンからパダンへの移動日。 国内線は、地元の人々でごったがえしており、 チェックインカウンターもまるでバーゲン会場のように 人がひしめいている。 熱気にやられそう・・・ 言葉もよくわからず・・・ しかし外国人にはやさしいので いろいろどう…
フェイスブックはじめました
インドネシアの方々はほぼ皆フェイスブックをしているので 私もはじめました。 本日はフェイスブック三昧と、 学生の夏期課題レポート読みと 睡眠。 「体力温存」が合言葉。 食べ物はひたすらこんなもの。 スシテイに通い、日本食ばかり食べてます。…
メダンにて
庶民の生活が垣間見えるパッサール(商店)。 林芙美子も行く先々の町で パッサールを見学し、ちょこまかと お買いものしている。 私は、行く先々の町でモスクを見学。 モスク見学スタイル。 マイムーン宮殿。 王族末裔たちが、ちょと遅いレバラ…
林芙美子とメダン
南方派遣時の林芙美子の手帳には、 3月21日に「メダン」の記述があり、 その後は空白、27日に「ブラスタギ」 28日に「スイスホテル」、 29日に再び「メダン」の文字があらわれ 空白が続き、4月17日に「アチェ」とある。 そしてさらに空白が…
北スマトラ大学
メダンの北スマトラ大学、文学日本文学学科を訪問。 先生方と。 図書館。大きい。 見学しているときも、ここ数日の体調不良による へろへろな状態が続き、さらに飛行機での移動のときによくなる 耳の違和感がともなってきて、 いったん、お昼寝・・…
スリヴィジャヤ・ポストの記事、第二弾
昨日のスリヴィジャヤ・ポストに今回の調査の記事の 第二弾が掲載される。 シリーズ化してくれるというから 有難い! モッタさんに聞いたときのことで、 現在の州知事のお父さんが瑞穂学園に 通っていたことがわかった、 という見出し。 州知事が…
パレンバンにて林芙美子の種をまく
さてこれはおととい食べた夕食。 インドネシアのマックにはこんなメニューがある。 しかしホテルに持ち込み、食べようと思っても いっこうにのどを通らない。 昼も食べなかったのにおかしいなと思っていると あっという間に発熱。 その後は激しい下痢…