Соколова Kiyomi Yamashita

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山下聖美 文芸研究室

CATEGORY林芙美子の南方従軍現地調査2011

アンディ先生ご家族との夕食

スラバヤのガイドのトゥリさん。 誰かに似ている・・・ 動物園がおすすめだと強く推すので ならばオラウータンを見よう! ということに。 オラウータン、昼寝していて出てこず。 そのかわりに、「コモド」という巨大トカゲ。 夜、アンディ先生…

スラバヤの旧・大和ホテル

林芙美子は昭和17年12月12日に、マレーシアからスラバヤへ やって来た。芙美子にとってはじめてのインドネシアの地はスラバヤであった。 12月15日にはバンジャルマシンへ発つのだが、 昭和18年1月6日には再びスラバヤに戻っている。 この日…

資料収集家・ウェイさんを訪ねる

アディティヤ先生に紹介していただき、 資料収集家のウェイさんを訪ねる。 「この人ならば戦中の資料ももっているかも!」とのこと。 高級住宅街のなかに、突然あらわれた 資料館。 中に入ると・・・ 一階は本棚がずらりと並び、展示も多くある。 …

スラバヤ、ぺトラ大学へ

本日より、スラバヤへ移動。 いよいよ林芙美子が1943年にホームステイした 「トラワス村の村長スプノウ氏宅」 の調査が本格的にはじまった。 スラバヤは、ジャカルタから飛行機で一時間ほどの インドネシア第二の都市で、この近郊に トラワス(現在…

東南アジア社会史研究家・倉沢愛子先生

続いて、東南アジア社会史研究家で慶応義塾大学経済学部教授、 倉沢愛子先生のご自宅を訪問。 先生は夏の間はこちらで過ごされ、 フィールドワークに専念されている。 道中。 インドネシアの子供たちは 外国人をみると手をふる。 これが大変かわいい…

インドネシア大学 ブディマン和子先生とスーシー先生

インドネシア大学へ。 広いキャンパスにはバスが走っている。 日本研究センター内。 とても素敵な校舎。 むかえてくださったのは、 大学院日本地域研究科の ブディマン和子先生と、リンダさんのお友達、スーシー先生。 学生さんの論文は、石川啄…

「ジャワのパリ」バンドンへ

林芙美子は昭和18年2月26日から27日に バンドンに宿泊したという記録が残っている。 「浮雲」の舞台とされるダラットが実はインドネシ内にある 高原の町を描いたものかもしれない、ということも あるので、高原の町バンドンを訪れてみた。 「ジャ…

国際交流基金ジャカルタ

ただいま、ジャカルタ。 バンジャルマシンも良かったけれど、 都市のジャカルタに少しほっとする。 来たばかりのときは、ものものしいと 思ったけれど、今になれば、ごく自然、暮らしやすい。 今後、地方に行くときは、 ジャカルタを基点に行っては戻り…

「バンジャルマシン・ポスト」 一面と十四面

どこかに私の顔があります。 日本から林芙美子の足跡をおってやってきた、と書いてあるはず。 十四面をめくると・・・ だいたい「じゃかるた新聞」と同じ内容が 書かれている。 バンジャルマシンよ、さようなら。 素朴でとても親切な街だった。 …

林芙美子の詩を英訳

昨日、本日と基本的にはホテルにこもる。 面白いホテルなんです。 私の書斎と化したロビー。 さて今日は、日本からもってきた仕事と ウミさんに渡す林芙美子の詩作品の英訳を片付ける。 ボルネオ新聞に掲載された 「雨」「南の雨」「マルタアプラア…

「うき草」

林芙美子は「赤道の下」の中で マルタプウラ川に流れる「ほてい草」 (イロン・イロン)に目をとめた。 「何時河岸へ行ってもふわふわと水の流れに身を まかしているほてい草をみかけない事はない。 人の運命を浮草のようだとたとえた歌もあったけれど、…

マルタプウラ川の風景

林芙美子は「赤道の下」というエッセイの中で、マルタプウラ川の沿岸や プラウ(小舟)、そして水上マーケットの風景をについて 次のように書いている。 「一日このプラウの出入りを見ていて飽きることがない。 日本のお伽話に一寸法師が赤い椀の船に乗っ…

ボルネオ新聞跡地を探しに

バンジャルマシンでのガイド、モハメドさん。 ドライバーのイヨさん。 三人でいつも行動している。 バンジャルマシン・ポストのウミさんから 連絡があり、再び新聞社へ。 バンジャルマシン・ポストはこれ。 私が探しているボルネオ新聞はこれ。…

マルタプラの町、これが、ボルネオ・ダイヤ!

マルタプラの町へ。 市場でにぎわうマルタプラ。 近くにダイヤモンド採掘場があるので町は潤っているらしい。 たくさんのダイヤモンドおみやげ売り場。 作品「ボルネオ・ダイヤ」で重要なモチーフとなる ボルネオのダイヤは、これ。 磨いていな…

これが、タキソンの浜

タキソンの浜に着いた。 「ボルネオ・ダイヤ」のヒロインは ここでゆで卵を食べた。 芙美子の描くヒロインたちは、とにかく「食べる」。 しかし今日の私は街のラマダン空気に順応し、 ほぼ断食中。お店も空いていないのです。 ちなみに芙美子は「タキ…

タキソンの浜へ、ドライブ

林芙美子の短篇「ボルネオ・ダイヤ」において 女性たちが弁当をもって、 タキソンの浜へドライブにでかける。 ドライブといっても、決して浮かれたものではない。 様々な事情を抱えて遠く日本を離れ、南の地で 働く女性たちが、仲間の死の翌日、車でタキ…

バンジャルマシン・ポストへ

林芙美子はバンジャルマシンにて、 当時の日本人による現地新聞「ボルネオ新聞」 (朝日新聞が母胎)発行の手伝いをしたり、 作品を寄稿していた。 バンジャルマシンに本社をおく「ボルネオ新聞」 は当時どこにあったのか。 ちなみに、現在のバンジャル…

戦没者慰霊碑とバンジャルマシンの街なみ

空港そばの戦没者慰霊碑で手を合わせる。 街を流れるマルタプラ川。 芙美子の日記には、 「バンジェルは蘭領ボルネオの第一の都会だといわれた けれど到って淋しい沼地の街なり。 街を抱くようにして黄いろおバリトの大河あり、 マルタプウラはバリ…

バンジャルマシンへ

いったんジャカルタを離れ、ボルネオ島へのバンジャルマシンへ。 林芙美子は、昭和17年の12月から1月にかけて、20日間以上、 バンジャルマシンに滞在している。 バンジャルマシンを題材とした詩作品をいくつか残しており、 明日からのその地をめぐ…

本日の「じゃかるた新聞」一面トップに

林芙美子の研究プロジェクトについての記事が 掲載されました。 本日はこもって研究日。 資料整理にあけくれる。 明日からボルネオ島、バンジャルマシンへ出発! …

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