
午後からマランへ。 林芙美子は1943年1月19日、 スラバヤからマランへ出向いている。 「マランは美しい街なり」 と書き、買い物したこと、 帰りの車がパンクしたことなどを 綴っている。 確かにマランは美しい街。 オランダ時代の建物が残る…
ジョンさんが紹介してくださった、 トラワス村最高齢者の方。 1906年生まれ、つまり105歳です。 スプノウ氏は1943年に35歳。 ということは、スプノウ氏よりも2歳年上。 スプノウ氏のこともご存知だった。 ただ、「一般の人ではなく」 …
今日はインドネシア独立記念日。 テレビではずっと式典の様子を流し、 ホテルにも国歌が流れ続けた。 昨日の貴重な聞き取りの整理に集中する。 人の名、地名(当時と現在)、役職(当時と現在) これがややこしくて本当に大変。 気分転換にジャランジャ…
サルプさんのお宅の前、これこそ スプノウ氏の官舎、つまり林芙美子がホームステイ した場所である。見ーつけた! 外観。 現在建物はない。空き地。 そして、まさにこの場所で、林芙美子はスプノウ家族と 写真を撮っている。まだ当時をしのばせる石…
本日の聞き取り調査、ご協力いただいた方、 ありがとうございました。 そもそもインドネシアの平均寿命は日本ほど高くないので ご高齢の方は限られる。 ジョンさんに、カタパンラメー村およびトラワス村に ご存命の貴重なご高齢の方々を紹介していただく…
ジャカルタでは6時がブカ・プアサ(断食明け) であったが、こちらは5時半。 スラバヤからトラワスまでいつも一緒に行動している トゥリさんとドライバーのルディさん。 彼らももちろんイスラム教徒なので プアサ中。 ちなみに彼らはよく「お祈りタ…
本日は、現在のトラワス村とカタパンラメー村を中心に調査。 美しい景色。 宿泊先のホテルから撮影。 このホテル、あまりにおもしろすぎる状況なので 今後、じっくり書く予定です。 アディティヤ先生に紹介していただいた ジョンさん。 今日は朝から…
林芙美子は、トラワス村村長宅から、 しばしばタミヤチン区(当時)へと出かけている。 タミヤチンでの芙美子の足跡は以下の通り。 1、タミヤチン小学校で先生方に日本語を教える。 (教室で生徒たちと写る写真がジャワ新聞に掲載されている) 2、タミ…
いよいよトラワス。 林芙美子は昭和18年1月12日~17日まで トラワスに滞在し、その後ももう一度トラワスを訪れた という説もある。 トラワス村の村長の家に宿泊し、近隣をみてまわった記録が メモや手帳に残されている。 一方で、雑誌にもトラワ…
スラバヤはなんだか日本に似ているような、 落ち着く街だった。 本日、トラワスに出発する前に、 スラバヤ国立大学のヨフィンサ先生と会う。 ヨフィンサ先生は、南方徴用作家研究の第一人者 木村一信先生のお弟子さんで、 阿部知二の「死の花」をインド…
明日からのトラワス行を控え、 本日は今まで聞いたことをまとめたり、 資料をそらえたりと、ホテルにこもる。 気分転換に、インドネシアを代表する伝統工芸品の バティック作りに挑戦。 アニータ先生に教わりました。 まずはロウでお絵かき。 こん…
スラバヤのガイドのトゥリさん。 誰かに似ている・・・ 動物園がおすすめだと強く推すので ならばオラウータンを見よう! ということに。 オラウータン、昼寝していて出てこず。 そのかわりに、「コモド」という巨大トカゲ。 夜、アンディ先生…
林芙美子は昭和17年12月12日に、マレーシアからスラバヤへ やって来た。芙美子にとってはじめてのインドネシアの地はスラバヤであった。 12月15日にはバンジャルマシンへ発つのだが、 昭和18年1月6日には再びスラバヤに戻っている。 この日…
アディティヤ先生に紹介していただき、 資料収集家のウェイさんを訪ねる。 「この人ならば戦中の資料ももっているかも!」とのこと。 高級住宅街のなかに、突然あらわれた 資料館。 中に入ると・・・ 一階は本棚がずらりと並び、展示も多くある。 …
本日より、スラバヤへ移動。 いよいよ林芙美子が1943年にホームステイした 「トラワス村の村長スプノウ氏宅」 の調査が本格的にはじまった。 スラバヤは、ジャカルタから飛行機で一時間ほどの インドネシア第二の都市で、この近郊に トラワス(現在…
続いて、東南アジア社会史研究家で慶応義塾大学経済学部教授、 倉沢愛子先生のご自宅を訪問。 先生は夏の間はこちらで過ごされ、 フィールドワークに専念されている。 道中。 インドネシアの子供たちは 外国人をみると手をふる。 これが大変かわいい…
インドネシア大学へ。 広いキャンパスにはバスが走っている。 日本研究センター内。 とても素敵な校舎。 むかえてくださったのは、 大学院日本地域研究科の ブディマン和子先生と、リンダさんのお友達、スーシー先生。 学生さんの論文は、石川啄…
林芙美子は昭和18年2月26日から27日に バンドンに宿泊したという記録が残っている。 「浮雲」の舞台とされるダラットが実はインドネシ内にある 高原の町を描いたものかもしれない、ということも あるので、高原の町バンドンを訪れてみた。 「ジャ…
ただいま、ジャカルタ。 バンジャルマシンも良かったけれど、 都市のジャカルタに少しほっとする。 来たばかりのときは、ものものしいと 思ったけれど、今になれば、ごく自然、暮らしやすい。 今後、地方に行くときは、 ジャカルタを基点に行っては戻り…
どこかに私の顔があります。 日本から林芙美子の足跡をおってやってきた、と書いてあるはず。 十四面をめくると・・・ だいたい「じゃかるた新聞」と同じ内容が 書かれている。 バンジャルマシンよ、さようなら。 素朴でとても親切な街だった。 …